フランス屈指のレジェンド・フィルム『鉄路の白薔薇』
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『鉄路の白薔薇』
アベル・ガンス監督、1923年・フランス・計270分(第1部:黒の交響楽、第2部:白の交響楽)
これまで鑑賞したフランス映画の中でも、本作はトップレベルに好きな作品です。
その存在を知ったときから、片想いを続けていました。
レンタル店には一切置いておらず、DVDも売ってない、かろうじてVHSは発見したものの、中古すら売り切れ状態。
一旦、DVDの再販を待つことにしたけれど、一年が過ぎ...
このままでは発狂すると思い、外国版を輸入。それがちょうど一年前くらい。思えば、本作には2年近くも片想いしていたことに。
結果、僕の想いは予想をはるかに超えて満たされました。
映像のパワー、スピード、エモーションにおいて桁外れの馬力を持ち、時に重厚で時に流麗。
圧倒的な傑作です。
あらすじ
機関士の中年男シジフは、妻と生き別れ、幼い一人息子エリーと暮らしていた。
ある日、列車の脱線事故が起こり、母を失った幼女ノーマを見つける。
一人取り残されたノーマを、シジフは引き取って育てることに。
※以下、内容に触れています。
加速するモンタージュ
本作でガンス監督は、加速モンタージュなるテクを多用します。
2つ3つほどのカットの切り替えしを徐々に速めることで、シーンの切迫感と緊張感を極限まで高めます。
卓球のラリーが、最初ゆっくりで、どんどん速くなり、最終的にお互いが同時に打ち返しているように見える感覚です。
今となっては教科書的なこの話法が、ほぼ100年経った今も、当時の新鮮さと効力を持って胸を打つのは驚きです。
例えば、列車の脱線事故シーン
回転する車輪→機関士の顔→線路の轍
3つのカットが、加速的に切り替わっていき、最終的にほぼ同タイミングで交錯し、緊張が極限まで高まったその時、大惨事が起こる!
なんという迫力でしょう、やっぱり映画って凄いんですね。
映像表現の可能性に挑む
「映像で語れることの限界はどこまで押し広げられるか」
本作を見ただけで、ガンス監督はこの命題に挑んだ人だと直感しました。
シジフが占い師に手相を見てもらうシーンでは、手の平に列車に身を捧げる彼の映像がオーバーラップされます。
後の傑作『ナポレオン』では、画面を3つに割って、壮大な行軍を魅せたトリプル・エクランというのも試してました。
そのためか、ガンス監督の映像は、大胆不敵と精妙巧緻を行き来します。
雪山のアクションシーンは、現代のそれにまったく引けを取りません。
白銀の雪景色をバックに、切り立った崖の黒が浮かぶ。そこに左手ひとつでぶら下がる男と上から棒で手を剥がそうとする男の影。
このコントラスト、凄まじいです。
対して、物語のラストは、極めて忘我的で美しく、流麗なものです。
冬の訪れを前に、人々が輪を作ってくるくると踊り回り、山の斜面を登る。輪に加わる成長したノーマ。
その様子を小屋の窓辺から遠巻きに見つめる老いたシジフ。彼は人生の終わりにさしかかっていた。
側に佇む犬に「私の列車はまだ回っているかい?」と訪ねる。回転する人の輪は、彼にとって列車の車輪であり、その中に愛する娘ノーマもいた。
つまり、列車とともに生きたシジフの人生には、常にノーマの存在があったことを示すのです。
口から力なく落ちたパイプが白煙をくゆりと舞い上げる。シジフの魂が煙とともに天に昇るように。
カメラは一面に広がる雲の上に出て光を浴び、そこにゆっくりと列車の影が二重写しされ、物語は幕を閉じる。
こんな完璧な映画が100年も前に存在していたなんて。
文句なしの傑作です。