判ってくれる大人もいる『野性の少年』
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『野性の少年』。
フランソワ・トリュフォー監督、1969年・フランス・85分
原題: L'Enfant sauvage
本作は1797年に南フランスで実際に発見された「アヴェロンの野生児」を映画化した作品になります。
獣として育ち、誰からも愛されなかった孤独な少年。
そんな彼にただ一人愛と根気を持って教育するイタール博士。
彼らは共に実在の人物だそう。
そのイタール博士をトリュフォー監督本人が演じるというとても貴重な作品です。
あらすじ
フランス中部の森アヴェロンで、獣のような裸の少年が捕獲された。
四足歩行で走り、背筋は曲がりきって髪も伸び放題。
完全に人間性を失っている少年は、パリの聾唖学校に引き取られることに。
しかし少年は周りの大人から奇異の目で見られ、子供たちからはいじめの対象となる。
その中でただ一人イタール博士が根気強い教育と愛情を捧げていく。
「当たり前」を教えることの難しさ
獣の少年に大きく欠落していたのは人間社会のコンテクストでした。
椅子は座るもの、本は読むもの、服は着るものというような当たり前の概念をまったく持っていなかったのです。
そのためスープ皿にはスプーンを使わず顔を突っ込みますし、花瓶の花を抜いて水を飲みますし、鏡の中に映るリンゴに手を伸ばして取ろうとします。
僕たちが暗黙の内に了解し、共有し合っている文化の基盤がごっそり抜け落ちていたのです。
そんな「当たり前」を教えることの難しさをトリュフォー監督自らが見事に体現しています。
そもそも何故スプーンやフォークを使って食事をしなければならないのか、少年にはまるで理解できません。
彼の「いや、手でいけるやん」「顔直でスープ飲めるやん」と言わんばかりの表情も素晴らしかったですね。
大人も判ってくれる
そして少年は礼儀作法以上に大切なこと、人の愛情というものを知ります。
彼は生まれてから一度も自分に優しく接してくれる大人に出会ったことがありません。
首にある傷の秘密が明らかになるとき、少年がどれほど愛を知らない人生を送ってきたのかが分かります。
そんな彼の人生に突如として現れたイタール博士(トリュフォー監督)という大人。
博士と会ったことで、以前は何事にも吠え猛るだけだった少年に感情の起伏が生まれていきます。
嬉しければ笑い、悲しければ泣き、腹が立てば怒る。
厳しい教育が嫌になり森の中に逃げ出したものの、彼はすでに孤独という寂しさを知っていました。
そしてイタール博士のもとに自分の意志で帰ります。
それまで木とレンガの塊でしかなかった物体が、初めて「家(Home)」となったのです。
このシーンは感動ものですね。
本作の冒頭には「ジャン=ピエール・レオーへ」という献辞が登場しますが、レオーは同監督の名作『大人は判ってくれない(1959)』で主役の少年をつとめた俳優です。
その作品では、大人に愛されることなく一人闇夜に消えていく不良少年の姿が描かれていました。
それからちょうど十年の時を経て、監督はまったく正反対の本作をつくり上げました。
しかも大人を演じるのはトリュフォー監督本人です。
要するにこれは「世の中には判ってくれる大人もいる」というトリュフォー監督のセルフアンサーとなっているのですね。
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