生きる意味はすぐ側にある『桜桃の味』
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『桜桃の味』。
アッバス・キアロスタミ監督、1997年のイラン映画(98分)、
第50回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した名作ですね。
あらすじ
中年男のバディは、自殺を手伝ってくれる人を探してテヘラン近郊を車でさまよっていた。彼の依頼は実に奇妙なものだ。
「夜のうち山に掘った穴に私が横たわり、朝になって名前を2度呼んでも起きなかったら土をかけてくれ。」というもの。
この頼みを高額な報酬とともに依頼する。バディは3人の人物に頼みを申し出るのだが次々と断られ…
日常の何気ない素晴らしさを静かなトーンでそっと教えてくれる素晴らしい作品でした。
※以下、ネタバレを大きく含みます。未見の方は申し訳ありません。
生きることの意味を探す旅
本作は奇妙で不思議な映画だ。
劇中の大半は車中での長話、車での移動、音楽もなし、土色の風景の中で淡々と話が進展する。
観る人によってはとても退屈に感じる作品かも知れない。しかし一方で、生きるための視野を劇的に変化させる力も持っている。
主人公のバディは自殺をする直前の男。その手伝いをしてくれる人を街中で物色している。
ところが本作は死に急ぐ男の話ではなく、生きることの意味を求める男の話だ。
単純に死にたいだけなら人に手伝ってもらう必要はないし、金欲しさに自分を雇えという人は劇中にたくさん出てくる。
しかしバディは彼らを無視して、依頼を断りそうな人物をあえてピックアップする。
依頼を断る人、つまり死ぬのを止めてくれる人、生を肯定する人。
要するに彼は「死ぬことの手伝いをしてくれ」と言うのではなく、「なぜ生きるのかを教えてくれ」と訴えているのだ。
日々は美しさに満ちている
かく言う僕もストーリーの冒頭では単調な話運びにやや退屈さを覚えた。
車中での男同士の会話は陰険で退屈だ。
ところが車の外を見てみれば、とても美しい日常が広がっていることに気づく。
イランの原風景というのか、舞い上がる一面の土埃にオレンジ色の夕陽。空には鳥の群れが舞い、夜の月はやけに透き通って見える。
生きていて悲しいのはそれに気づかなくなったことだ。それが車中と車外という対比でものの見事に描かれる。
つまり車中は自殺を考える男の暗く狭くなった内面の世界、車外は美しさに満ちた日常の景色だ。
「生きる意味?ちょっと外を見てごらんよ。美しいだろう。」
そう語るキアロスタミ監督の声が聞こえてくるようである。
「桜桃の味」が人生の喜び
「自分の狭い視野や内省ばかりに縛られるのは止して、外の世界に目を向けよう。何気ない一日は美しさに満ちているから。」
というメッセージを(今の僕みたいに)言葉で語らないからこそ、誠意と信念と説得力が伝わってくる。
もし本作をぽ〜っと見過ごしてしまったらおそらく退屈な一本となると思う。ただ観る方によっては人生を劇的に変える一本となるかもしれない。
自ら急いで人生の幕を閉じなくとも、いずれ終わりは向こうからやってくる。それまでは日々の奇跡を、自分だけの楽しみを味わっていようではないか。
日常の中で感じる小さな小さな喜びこそ桜桃の味なのだから。
そう監督自身が映像で宣言して、物語を締めくくる。
この締めくくりが本作最大の驚きであり、素晴らしい部分だ。
実は本編の終わり、急に画面が荒くなりキアロスタミ監督自身の撮影現場の様子が映し出される。
笑顔で撮影する監督はやけに楽しそう。つまり監督自ら「これが私の日常であり、桜桃の味なのだ」と教えてくれている。
自分だけの「桜桃の味」を噛み締めて生きていこう、そう思わせてくれる作品でした。
というわけで、とてもとても素晴らしい名作映画です。