キネマ・ジャングル

国・年代・ジャンルを問わず、心に響いた作品について呟いてみる映画ブログです。

映画愛に溢れたメッセージ『キートンの探偵学入門』×『カイロの紫のバラ』

こんにちは、キーノです。

 

今回の作品は『キートンの探偵学入門』

バスター・キートン監督・主演、1924年・アメリカ映画・44分

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Credit:Amazon.co.jp

そして『カイロの紫のバラ』の二本です。

ウディ・アレン監督、1985年・アメリカ映画・84分

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Credit:Amazon.co.jp

『キートンの探偵学入門』が『カイロの紫のバラ』の元ネタというのは有名な話。

 

どちらも映画内映画をテーマにした名作ですが、特に『探偵学入門』は僕のオールタイムベストの一本でもあります。

 

バスター・キートンとウディ・アレン、この偉大な2人の映画人はそもそもお互いに似ている存在だと思います。

 

どちらも2枚目ではなく、チビでコンプレックスの塊、そして皮肉屋です。

 

その皮肉を動きで見せたのがサイレント時代のキートンで、しゃべりで見せたのがトーキー時代のアレン監督のような気がします。

 

そして両監督が生んだ上記二作品はともに、映画愛に満ち溢れた現実へのメッセージを送ってくれているのです。

 

※以下はあくまで個人的な解釈になります。

 

『キートンの探偵学入門』

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Credit:youtube

あらすじ

映写技師で日銭を稼ぐ青年キートンは、探偵を目指して勉強中の身。

ある日、恋敵の男にはめられて、愛する女性やその家族から泥棒扱いされてしまう。

落ち込むキートンは映写中にうたた寝してしまい、映画の中に入り込み、名探偵シャーロックJrとなって濡れ衣を晴らす旅に出る。

 

本作の大切な設定は現実から映画内に入り込むというもの。

 

キートンが寝落ちするシーンは幽体離脱という形で示されます。

 

夢の中では映画内の俳優たちが現実の恋敵や恋人に置き換わり、その中にキートンが客席からトコトコと舞台に上がってスクリーンの中に飛び込むのです。

 

 

ここからはキートンの天才的なアイデアで溢れんばかりに登場します。

 

スクリーンの中に入ったものの、映画はカットが切り変わるので、キートンのいる場所も次々と移り変わってしまう。

 

椅子に座ろうとしたらカットが変わって道路にスッテンコロリン。

岩礁から海に飛び込もうとしたら、積雪の中にズボンッ!

 

それからまたカットが変わって、ライオンの群れに囲まれる。

 

映画の特性を生かした最高のギャグですね。

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Credit:youtube

映画(夢)の中のキートンはスゴ腕の名探偵となって大活躍し、彼の「現実もこうだったらいいな」という願望のシンボルとなります。

 

てんやわんやの大騒動を繰り広げたキートンは夢から現実の映写室へと戻ってくる。

 

そこに彼の無実を知った恋人が現れる。絶好のプロポーズタイミング!

 

しかしキートン青年は告白の仕方が分からない。

そこで映写室の小窓からちょうど上映中のカップルを見て、そっくりそのまま真似をする。

 

映写室の小窓越しにその様子が見えるので、まるで二人が映画世界の中にいるように映されます。

 

つまり小窓が一種のスクリーンとなっているのですね。

 

ここから現実は夢のようにはいかないけれど、それでも映画のように素晴らしい瞬間はあるんだというメッセージが読み取れます。

 

いやはや何度観ても大好きな一本です。 

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Credit:youtube

『カイロの紫のバラ』

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Credit:youtube

あらすじ

姉の仲介で食堂のウェイトレスをするシシリアは、貧乏な生活と辛い現実に苦しむ一介の主婦。

失業中で酒浸りの夫からは、なけなしの金をむしり取られ、暴力を振るわれる。

そんな彼女の唯一の楽しみは映画を観に行くことだった。

ある日、何度も通っている『カイロの紫のバラ』の上映中、スクリーンから探検家のトム・バクスターが飛び出して、シシリアを連れ出してしまう。

 

本作が『探偵学入門』と大きく違うのは、映画内から現実に飛び出してくるということ。

 

というわけで、ストーリーは基本的に現実世界を主軸にして展開していきます。ここが素晴らしいところ。

 

シシリアの苦難に満ちた現実の内に幻想や理想としてのトムが入り込んでくることで、彼女はまるで常に映画を観ているかのような夢のひと時を現実のただ中で味わうことになるのです。

 

映画を観ることだけが唯一の楽しみであり救いであるシシリアにとって、これほど素晴らしい体験があるでしょうか。(どうか僕にも起こりたまえ)

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Credit:youtube

この嬉しさは、シシリアを演じるミア・ファローさんのかもし出す薄幸オーラので倍増しています。『ローズマリーの赤ちゃん』のときから凄かったですね。

 

スクリーンから探検家のトムが「君もう5回も来てるね」と声を掛けてきた時の「えっ、私?」という表情がたまらなく好きです。

 

しかし夢の時間は必ず覚めるときがやって来ます。相手はあくまでも虚像であり、映画世界の住人なのです。

 

 

幻想のぬるま湯に浸かったままハッピーエンドに終わらないところもまた素晴らしいところ。

クライマックスで、とある真実を知ったシシリアは再び現実の中へと突き戻されます。

 

しかし本作は、現実の厳しさを絶対の基盤に置いているからこそ、映画を観るということの素晴らしさが浮かび上がって来るのです。

 

ラスト、とぼとぼと映画館に入ったシシリアの瞳がそのすべてを物語っています。(瞳に映る感情の絶妙な変化はミア・ファローさんの名演ですね)

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Credit:youtube

つまり本作において、現実は一貫して辛く厳しい場所ということに変わりありません。

 

しかし「映画を観る」という体験が現実の哀しみや憂いをほんのひと時でも忘れさせてくれるんだという、そんな映画愛に満ち溢れたメッセージが垣間見えます。

 

 

『キートンの探偵学入門』を観て現実の素晴らしさを知り、『カイロの紫のバラ』を観て映画の素晴らしさを知る。 

この二作品があれば何とか生きていけそうな気がします。