『ある戦慄』心にビンタを喰らった密室スリラーの名作
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『ある戦慄』。
ラリー・ピアース監督、1967年・アメリカ・100分
傍観者でいることの罪を観る人に叩きつけるような密室サスペンスの名作です。
他人を躊躇せず助けることのできる方が観れば、ただただムカッ腹の立つ作品かも知れません。
しかし僕なんかは「これお前のことだぞ」と心内をビンタされたような気分になりました。
無関心という罪
ストーリーはしごく単純です。
同じ車両に乗り込んだ十数人の乗客たちを運ぶ深夜の地下鉄。
そこにチンピラ2人組が現れて果てしなくちょっかいを出し続ける。
その中で傍観者・無関心でいることの罪が剥き出しにされる。
本作の話は本当に誰にでも、そしていつ何時でも起こりうる平凡なもの。
まず冒頭で、明確な罪人であるチンピラ2人組「ジョーとマーティ」の無法者ぶりが描かれます。
闇夜の路地裏に潜んで、弱々しい中年男性をひっ捕らえ財布をひったくる。
財布を開き「8ドルしかねぇのか?ちゃんと働けよ」と言って男性をリンチ。
最低最悪以外に形容のしようがありません。
実際、現実世界にこういう人がいるからこそ、観る側の怒りと悲しみは最高潮に達します。
彼らの非人道ぶりに比べれば、イモータン・ジョーはしっかり者ですよ。
2人組の実態を語り終えた後、場面は真夜中の地下鉄に移ります。
各駅でワケありげな乗客たちが1組、また1組と同じ車両に乗り合わせることに。
そして最後にあのチンピラ2人がギネス記録ののガサツさと共に乗り込んできます。
思いやりの「お」の字も知らない2人は、車両のドアを閉じて誰も降りられなくし、乗り合わせたカップルや黒人夫妻、青年兵士や老夫婦に嫌がらせを開始します。
この2人組に腹が立つのは言うまでもないですが、悲しいのは乗客のほとんど全員に対しても怒りが湧いてくること。
ズバリ傍観者という罪です。
他の乗客が弄ばれても誰も助けようとはせず、沈黙を貫き保身に努めます。
彼女がおちょくられても彼氏はダンマリ、妻が言い返しても夫はダンマリ。たまに言い返してもまた直ぐに皆んなだダンマリを決め込みます。
しかしいざ自分に置き換えてみると、僕も彼らと同じ行動を取ってしまうような気がしました。
それを含めて怒りと悔しさが湧いてくるのです。
しかし劇中にはただ1人だけ救いをもたらす人物が登場します。
左腕を骨折しギプスをはめている青年兵士がそうです。
本当に彼だけに本作は救われました。
ラスト、とある悲劇の後、傷を負った彼に向かって乗客が「大丈夫か、私に出来ることはないか?」と聞きます。
それに対して青年は「たくさんあるよ」と答えます。
おそらくその後に「今までにもたくさんあったでしょう」と言いたかったはずです。
まさに僕自身が言われているようで、申し訳なさと恥ずかしさが込み上げて来ました。
同じ密室サスペンスで『十二人の怒れる男』という名作がありましたが、劇中人物の心意気はまるで正反対です。
十二人は無関心だった問題に対して徐々に熱がこもり、最後には全員参加していきますが、本作は話が進むごとに無関心の度合いが強くなっていきます。
最近鑑賞した中でもっとも胸に突き刺さり、頬を張り倒された気分になりました。
もう一度言いますが、これはいつでも誰にでも起こりうる話。
もし傍観者としての自分にちょっとでも思い当たる節があるのなら、絶対に絶対にオススメの作品です。