夢が自立するとき。『僕の村は戦場だった』
こんにちは、キーノです。
今回は『僕の村は戦場だった』。
1962年のソ連映画、巨匠アンドレイ・タルコフスキー監督の長編第1作です。
あらすじ
第二次世界大戦、独ソ戦下のソビエトに家族を失った少年イワンがいた。
彼はドイツへの恨みから、大人の兵士でも危険な偵察任務を買って出る。
そんなイワンに兵士たちは幼年学校に入るよう命じるが、彼は断固拒否する。
またイワンは命がけの任務に赴くのだが…
暗澹たる悲劇的世界の中で少年の夢だけが光をもたらす。
なんとも知れない美しさでした。
9割の闇と1割の光
これが本作鑑賞後の印象でした。
物語世界の9割は戦争によって闇に包まれていて、明るさがまるでない。
しかも映し出されるのは最前線の戦火ではなく、末端の静かな自軍地のみ。
世界は隅々まで死の匂いに侵されている、そう感じました。
そんな中でも、河に広がる水の波紋や白樺の裸木が果てしなく林立する様は、監督ならではの異様な美しさを湛えていました。
この闇の世界を唯一照らし出すのが、イワン少年の見る夢です。
この夢のシーンは本編の1割程度をしか占めません。
それが真っ暗闇にポツポツと灯る明かりのようで陶然としてしまいました。
悲劇的世界の中で夢だけが少年のオアシスだったのです。
夢が自立するとき
この物語は夢で始まり夢で終わる。少なくとも僕はそう解釈しています。
しかし2つの意味合いは大きく異なっているでしょう。
冒頭の夢はイワンが鳥の目線になって空を飛ぶ。
そして微笑む母を見つけるも叫び声とともに母は倒れる。瞬間、イワンは目を覚ます。
次の夢は深い井戸の底からカメラがスーッと上を見上げると、こちらを覗き込む母と自分がいる。
また叫び声とともに井戸の側に倒れる母。瞬間、イワンは目を覚ます。
母が倒れるのが、現実に引き戻される合図となっています。
つまりイワンは現実と地続きでしか夢を見ることが出来ません。
ところがイワンがその後たどった運命を考えれば、最後の夢は何でしょうか。
単なる回想でもない気がします。
浜辺で逃げる妹、追いかけるイワン。妹に追いつき、追い越し水の上を駆け抜け、どこまでも走っていく。
もはや夢を引き戻すリアルはどこにもない。
まるで夢という存在が現実の楔から解放されて、単独で存在し始めたような美しさです。
現実の中の夢ではなく、夢自体がどこかで生命を持ち存在している。
そんな変な解釈に勝手に納得して、勝手に本作を好きになっています。
なのでタルコフスキー監督作品の中でも『サクリファイス』と並んで好きな作品です。
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