行き着くところに悲劇あり。日本の大名作『西鶴一代女』
こんにちは、キーノです。
今回は、日本が生んだ永遠の名作『西鶴一代女』。
巨匠・溝口健二監督、主演・田中絹代さん、1952年の作品です。
高貴な女性が、行く先々で悲劇に見舞われ落ちぶれていき、最後には娼婦になるという悲しいお話。
鑑賞前は悲劇と聞きあまり乗り気でなかったのですが、思わずまばたきを忘れてしまうほど入り込んでしまいました。
溝口作品は素人の僕でも嗅ぎ分けられるほど、女性の香りで満ち満ちていますね。反対に、黒澤明監督の作品は無骨な男の匂いがします。
あらすじ
奈良のうらぶれた道をひた歩く娼婦のお春。彼女はかつて御所に勤めていた高貴な家柄の少女だった。
たどり着いた羅漢堂にある無数の仏像を見るうち、これまでの悲劇が過去から蘇ってくるのであった…
本作は「この後どうなるの?」的悲劇が並列している作りなので、ネタバレがあまり好ましくないタイプかもしれません。
以下、内容にも少し触れているので、まだ未見の方は薄目とかで読んでいただけるとこれ幸いです。
「こんなに凄いのか…」大女優・田中絹代さんの独壇場
大女優とのお噂は前々から聞いていたのですが、田中絹代さんを見たのは本作『西鶴一代女』が初でした。
結論から言うと「こんなに凄いのか…」としか言いようがないです。
触ったら折れてしまいそうな娘役から醜さを全面に見せる娼婦役まで、すべて田中さん一人の名演。
小袖で口元を隠しながら小股でトトトトッと歩く娘時代、綺麗ですね。一転して娼婦になると、ズリ足ベタ足にボロボロの格好。
演じた年齢幅が30年以上あるのを考えると、開いた口がふさがりませんね。少女から初老まで演じても違和感ないのが驚きです。
それからお春を襲う悲劇の数々はとにかく容赦ありません。
彼女は呪われた存在で、どこへ行っても悲劇が後ろにビッタシ付きまとってきます。
これはもはやコナン君がいたら殺人事件が起きるのと同じ呪いです。
悲劇のネタが豊富で目が離せない!
本作はいくつかの悲劇的短話が羅列しているのですが、普通ひとつくらい面白くない話があってもおかしくありません。
ところがどれを取っても、単体で1本の映画が作れそうなほど中身が濃いのです。
最初の悲劇は完全に「ロミオとジュリエット」ですね。
身分違いの恋がもたらす悲劇で、罰としてお春は洛外追放されてしまいます。これが貧乏への転落の始まり。
このときの相手役が三船敏郎さんだったらしいのですが、恥ずかしながら初見では気づきませんでした。
悲劇ばかりではなく、笑えるシーンもあります。
殿様のお嫁さん候補を探している爺が登場するのですが、殿から言い預かってきた注文がメチャクチャ細かいんですね。
こんな感じ…
年は15から18、眉は厚く、目が細いのはお嫌い。口元小さく、耳には長みがあって唇浅く、おくれ毛なしの後ろ髪、心立て大人しく、指は長くてホクロなし…云々かんぬん
本編では、まだこれの5倍くらい注文が続きます。
「おるかそんなやつ」と言いたくなりますが、笑ってしまいましたね。
それからたくさんの女性を集めて1人ずつ吟味するシーン。
爺は遠慮なく「顔が長い!」とか「鼻がだんごっ鼻じゃ!」「顎が尖っとるぞ!」とか女性に面と向かって言います。
どうか「失礼やろ!」とツッコミを入れてやってください。
しかし殿の注文に合致してしまうのがお春なんですね。ここから大きな悲劇の輪に巻き込まれていきます。
あとは「うわぁ、もうやめてあげて」のオンパレード。それでも断じて目が離せない凄さが本作にはあります。
文句なしの傑作ですね。