過去を想う「まなざし」に涙する傑作『二十四の瞳』
こんにちは、キーノです。
今回は、日本映画の傑作『二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)!
巨匠・木下惠介監督、主演・高峰秀子さん、1954年の作品です。
印象的なシーンが数多くありますが、とあるシーンでボロ泣きしてしまいました。
あらすじ
新米の女教師として香川県・小豆島にやってきた「大石先生」。1年生12人の生徒を受け持ち、田舎の風習に苦労しながらも子供たちと打ち解けあっていく。
自然に囲まれスクスクと育っていく子供たちだが、戦争の影が徐々に迫りつつあった…
1年生役と6年生役の子供がクリソツ!
映画は主に3パートに分けることができます。
①新任教師として小豆島にやってきた大石先生と1年生12人の子供たち
②6年生になった12人の生徒
③中年になった大石先生と大人になった生徒たちの再会
②のパートに移る際、1年生の顔がオーバーラップでジワ〜っと6年生の顔に成長するんですが、ソックリすぎて唖然レベルです。
ちゃんと5年経つのを待ったのかと思うくらい。
調べてみると、1年生と6年生役に良く似た兄弟、姉妹を全国で募集して、結果3600組7200人から12組24人が選ばれたようです。
印象的な数々のシーン
小豆島の自然がしっかり収まるように遠景で見せてくれるのが嬉しいですね。大自然の中を小さな子供たちがチョコチョコ走り回る画が印象的でした。
150分を超える長尺作品ですが、印象的なシーンがいくつもあります。
新米の大石先生をからかって、1年生たちが「小石先生じゃ!」とあだ名をつけるところ。
子供たちが遊びのつもりで作った落とし穴に大石先生が落ちてしまってアキレス腱を断絶。長期休暇を取った大石先生を心配して、子供たちだけで泣きじゃくりながら遠い家まで向かうところ。
それから先ほど言ったボロ泣きシーン。
女生徒の一人「松っちゃん」が身内の不幸や貧乏が重なって退学を余儀なくされます。6年生になったかつての同級生たちが修学旅行で「松っちゃん」の働いている場所にやってきます。
そして同級生たちが乗る船を影に隠れて見つめながら思わず泣き崩れるシーン。
ここが一番せつなかったですね。
「瞳」が示す意味とは
初めてのクラスルーム、大石先生が名簿を確認しながら生徒の名前を一人ずつ呼ぶシーンがあります。
個性的な返事をしながら12人の生徒一人一人の顔がアップに。
そこに映し出されるのは、言わずもがな「二十四の瞳」です。
それから時は経ち、中年の大石先生と成人した生徒たちが再会します。世の中は日本が無条件降伏を宣言した直後のこと。
戦争に反対する大石先生は学校や国の方針に嫌気がさし、教師の仕事を辞めていました。
それがもう一度職場復帰することになって、かつての生徒たちがお祝いの会を開いてくれます。
そこで登場するのが1年生当時に撮った思い出のクラス写真です。
それを見た大石先生は平和だった時代を想い、涙します。
そして「瞳」の意味を教えてくれるシーン。
盲目になったかつての男子生徒が写真を指差して、「ここに誰々ちゃんが写っててその手前には誰々君がいて〜」と目に見えているかのように説明し始めます。
彼は「この写真は今でも目に見える」と呟くのです。
つまり悲劇にまみれた今の世界からは目を背けたくて、古き良き日の思い出だけに目を向けていたいという意味が込められているのでしょう。
「瞳」は過去を憂うまなざしとして描かれているのかもしれません。傑作でした。