子どものリアルを魅せた大傑作『友だちのうちはどこ?』
こんにちは、キーノです。
今日は祝日ということで、ミニシアターで『無双の鉄拳』という韓国映画を観てきました。
マ・ドンソクさんの丸太のような剛腕から繰り出されるインサイドボディの凄まじさときたら...
さぞ、犯人も自分の犯した罪の重さが、五臓六腑に染み渡ったことでしょう。
それはさておき、今回の作品は『友だちのうちはどこ?』です。
アッバス・キアロスタミ監督、1987年・イラン・85分
演技の上手な子役が登場する映画は数あれど、子どものリアルな反応を収めた映画というのは、あまり知りません。
その内の貴重な貴重な一本として、僕は本作を生涯寵愛し続けるでしょう。
本当に大好きなマスターピースです。
あらすじ
イラン北部の村コケルにある小学校。
ネマツァデ少年は、書き写しの宿題をノートにしてこなかったことで、先生にひどく叱責された。
「今度同じことをしたら退学にするぞ」とまで宣告される。
右隣に座るアハマド少年は、同情と不安を募らせた表情で、その様子を見ていた。
家路に着いたアハマドは、宿題を済ませようとノートを取り出すが、間違ってネマツァデのノートを持って帰ってしまった。
自分のせいで、ネマツァデが退学になることを恐れたアハマドは、場所も知らない彼の家を探しに、遠い隣村まで走り出す。
リアルは演技を越える
日本やハリウッド作品には、大人顔負けの演技をする子役がとても多い。
同時に、演技としての上手さばかりが目についてしまい、リアルな反応が見えてこないことも多い。
反面、本作には、子どもたちの本物のリアクションが詰まっている。
叱られたネマツァデのしゃくり上げるようなあの泣き方は、確実に本物。
泣くまいとする力が、込み上げてくる涙の圧倒的な湧出力に負けたときに出るタイプの声だ。
自分も同じように泣いたことがあるので間違いない。
これが演技だとしたら、逆に子ども不信になる。
この泣き方を見ると、自分も過去の同じ経験を思い出して泣きそうになってしまう。
リアルな反応は常に人の心を打つものだと改めて実感する。
恐怖の宿題チェック
子どもがこの世で最も恐れるもののひとつに、宿題チェックがある。
とくに宿題を忘れてきたときは絶望的だ。本作にもそのシーンが登場する。
これも過去にまったく同じ経験があるので余計身にしみる。
端の席から順に先生が回っていき、宿題を忘れた自分の番が次第に近づく。
先生の怒りの一撃にうたれる未来がすぐそこに見える。
あれほど、「時間よ止まれ!」と願った瞬間と宿題をやって来なかった後悔の念、そして修羅場を切り抜ける巧みな言い訳を同時に脳内でこなしたことはない。
本作のそのシーンに、かつての自分を重ねる方も多いと思う。
かつて子どもだった大人たちへ
子どもは大人の世界をかいくぐって成長していく。
先生や親に叱られないよう、絶妙な立ち回りを考える。
真面目なお子さんはそんなことしなくても良いだろうが、僕は常日頃、邪悪な抜け道を模索していた。
そんな風に、子どもは強大なオトナ帝国に立ち向かわなければならない。
それを象徴するように、本作の大人たちは、一貫して子どもの障害としてしか描かれない。
「宿題をやれ!」と言ったくせに家事を手伝わせる母、困っているアハマドの気持ちを察することなく怒鳴る祖父、仕事のためにアハマドのノート紙を無理に頂戴する商売人。
子ども心の読めなくなった大人たちに、アハマドは振り回される。
彼を助けてくれるのは、いつも同級の子どもたちだけ。
大人にとって、子どもの悩みは瑣末なものに映るかもしれないが、宿題を忘れることは、子どもにとって世界が滅亡するに等しい一大事だ。
そんなメッセージを本作は、諭すように、かつて子どもだった大人たちに送っている気がする。
アハマド少年は、友を救うためにひたすら走った。
「宿題を成し遂げる」という、小さくて偉大なことのために駆け抜けた。
ラストカットには思わず涙腺が崩壊し、ひとり大拍手を送りました。
大人の僕を支えるのは、かつて命がけで宿題をこなしたあの日の僕なのでしょう。
同監督の『桜桃の味』はこちら。
一応、『無双の鉄拳』はこちら。