『ステラ・ダラス』〜母から娘へ、愛のカタチ〜
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『ステラ・ダラス』。
キング・ヴィダー監督、1937年・アメリカ・106分
こちらは他に、オリジナル(『ステラ・ダラス』1925年)とリメイク(『ステラ』1990年)があります。
「母の愛」をテーマにした不滅の感動作として有名な映画ですね。
あらすじ
労働夫の娘ステラは、上流階級の好青年と結婚して、社交界に仲間入りし、一人娘のローラをもうける。
しかし、無理に着飾った姿や浮かれた行動が原因で、ステラは嘲笑の的に。
そんな母を思春期に差し掛かったローラは恥ずかしく思っていた。
ある日、ステラは自分の噂を偶然耳にしたことで、初めてローラの苦しみを知る。
何よりも娘の幸せを願うステラは、ある悲しき決断をすることに。
淀川さんの「おもいで」と共に
DVDで本作を見返すとき、決まって最初に、特典の「淀川長治『ステラ・ダラス』を語る」を観る。
その中で、1925年版の本作が、淀川さんにとって「映画の伝道師」となるきっかけの一つとなったおもいでが語られる。
当時、中学生の淀川少年は、ロクに勉強もせず、映画館に入り浸って映画を観ていた。
その頃、映画館に行く中学生は不良と呼ばれた時代で、淀川少年も先生に見つからないようこっそり通っていたそうだ。
そんな折、成績があまりに悪い淀川少年を見かね、担任の先生が「映画ばっか観てないで、真面目に勉強しろ」と強く叱った。
その時、淀川少年は返す刀でこう言ったという。
「そんなに映画がダメだと言うなら、今やってる『ステラ・ダラス』をいっぺん観てきてください」
さすがの映画愛ですね。
次の日、淀川少年が学校へ行ってみると、何やら教室が騒がしい。
中に入ると、先生が興奮した様子で「淀川!『ステラ・ダラス』はすごい映画だな!」と駆け寄って来た。
それ以来、淀川少年の中学校は、月一回映画館を貸し切って、生徒と教師で映画を観に行くという行事が出来たという。
この話が凄く好きで、本作を観るときは常に淀川さんのおもいでを添えて鑑賞している。
もちろん僕が観るのは1937年版で、淀川少年が観たものとは違うが、なんと幸いなるかな、『Stella Dallas(1925)』はYouTubeにアップされていて観ることができた!
これで少しは、淀川少年や先生の感動を追体験できたかもしれない。
気になる方は、削除される前にぜひ!
母〜究極の愛のカタチ〜
子供の幸せのために、自らは嫌われ役にまわり、身を犠牲にするとは一体どういう心情だろう。
そんな哀しい存在としての母親像を描きつつ、本作はそれを遥かに上回る愛情で飽和している。
劇中、ステラが自分の噂を聞いてしまうシーンには、思わず心の臓がキュッと縮むほどの切なさがある。
ちょっと内容に触れてしまうと...
旅先からの帰り、寝台の二段ベッドに寝ている母ステラと娘ローラ。上がローラで、下がステラだ。
その真横、カーテンで仕切られた通路で、3人の若い女性が偶然にもステラの噂話を始めた。
「なんてみっともない姿」「恥ずかしくないのかな」「娘さんが可哀想だよね」
ステラはそこで初めて真実を知る。上でローラがごそごそと動く音。ステラは思わず寝たふりをする。
なんとも切ない名シーン、この時点ですでに涙腺が緩む。
その後に待ち受けるステラの決断とラストは、「映画史に残る涙の名シーン」と謳われるが、まったく大袈裟でない。
自分がどんなに見すぼらしく、周りに蔑まれる存在に身を堕としても、子供の幸せだけは変わらず願っている。
自分を嫌うのが子供本人だとしても、その愛情は変わらない。
これが母親の愛のカタチなのでしょうか。
ラスト、雨粒で覆われたステラの顔に、はっきりと見分けられる一縷の涙がとてつもなく美しい。
観終わった後、そっと親に感謝したくなる素晴らしい名画です。