悔しいかな美しい殺人の記録『地獄の逃避行』
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『地獄の逃避行』。
テレンス・マリック監督、1973年・アメリカ・95分・原題 Badlands
マーティン・シーン、シシー・スペイセク主演
有名な作品でありながらも、今の今まで避けて通ってきました。
「若いカップルが人殺しをしながら逃亡し続ける」という僕の苦手な内容だと聞いていたからです。
『俺たちに明日はない』や『ナチュラルボーン・キラーズ』は観ていてとてもシンドイ。特に後者は(僕にとって)非常に苦痛な作品です。
「そんなナチュラルボーンに影響を与えたという本作(いわゆる親玉)を好きになるわけがない」そう思っていました。
ところがどっこい本作は確かに同じ筋でありながらも、鑑賞中そこはかとない美しさと解放感を感じることとなりました。
良い意味で肩透かしを食らった作品です。
あらすじ
父とふたり退屈な日々を送っていた15歳の少女ホリー。
ある日、彼女の前に25歳の青年キットが現れる。
2人は徐々に仲を深め密かに交際をスタートさせる。ところがホリーの父親がそれを知り、2人を別れさせる。
キットは彼を射殺してホリーと逃亡を図るのだが。
黄昏の似合う2人の主役
マーティン・シーンはご存知、エミリオ・エステベス(兄)とチャーリー・シーン(弟)の実の父親。
『地獄の黙示録』が日本でヒットしていたこともあって、本作は今の邦題に落ち着いたそう。
しかし若き日のマーティン・シーンはすこぶる2枚目。本当にエミリオのブロンド感とチャーリーのちょいワル感を両方兼ね備えている。
お父さんの特徴は物の見事に息子2人に折半されたようだ。
ちなみに劇中でホリーが小窓を開け夜道を見つめるシーンがあるが、そこに男の子2人が映っている。
彼らこそ幼少期のエミリオとチャーリーなんだとか。
一方のホリー役はシシー・スペイセク。
そばかすに赤毛、美人とは言えない容姿に地味な風貌。
ほどよい感じで諦観のオーラをまとっていて、少女なのに大人っぽいホリーを完璧に体現している。
この3年後、彼女はキャリー(1976)となってスクリーンに再臨することに。
これほど仄暗さがあって黄昏時の似合うカップルがスクリーン史上他にいたかな。
あまりに美しき殺人避行
人殺しの逃亡犯であることを理解しているものの、彼らに嫌悪感や憎悪を抱くことはない。
また彼ら自身も悲惨さや鬱屈した感情をほとんど露わにしない。
話はホリーのモノローグによって進展していく。
これは少女ホリーの目を通して語られるお話であり、彼女の目にはキットの犯行が残虐無慈悲なものには映っていない。
彼の元から逃げ出したいなんて微塵も思わず、「こんな計画性のないボーイフレンドとは二度と付き合わない」と思う程度。
キットのやっていることはナチュラルボーンのそれとさほど変わらないが、にも関わらず彼を純粋で無垢な存在とすら感じてしまうのはなぜか。
黄昏時の荒野に浮かぶ満月を前に長銃を肩にかける姿はキリストの十字架を思わせる美しさ。
ヘリの窓から見下ろす雲のカーペットは長旅の果てにたどり着いた桃源郷のような解放感。
お話は嫌いなパターンのはずなのに、悔しいかな美しく、ノスタルジックで素晴らしい。見事でした。