【新作】『ジョジョ・ラビット』
こんにちは、キーノです。
今回は、絶賛公開中の『ジョジョ・ラビット』を観てきたので、短めの感想を書きました。
※ストーリー展開や物語の核心には、なるべく触れないようにしています。
『ジョジョ・ラビット(Jojo Rabbit)』
タイカ・ワイティティ監督、2020年・アメリカ・108分
トロント国際映画祭 観客賞受賞
短めの感想
人は、生まれてくる場所を選べません。と同時に、言葉や習慣、考え方は、その場所の影響を強く受けます。
親に恵まれ、育った場所もしごく平和だった僕は、幸運としか言いようがありません。
それでは、生まれた場所が人類史の暗部・ナチスドイツだったらどうでしょう。
主人公の少年・ジョジョは、まさにその時代その場所に生まれてしまいました。
彼は立派な兵士を志し、ヒトラーユーゲントに入隊。ここは、未来のナチス兵を育成する青少年キャンプです。
精神の最も柔軟な時代に、ジョジョは、完全に誤ったナチス思想を叩き込まれます。善悪の正しい見極めができる以前に、初期設定として植えつけられるのです。
そんな彼のイマジナリーフレンドとしてアドルフ・ヒトラー(ワイティティ監督本人)が登場します。
それは、ジョジョの心に住み着いた病理を体現したものでしょう。
この病理を除去するのは、並大抵のことではなく、激しい苦痛は避けられません。
その役割を果たす2人の女性、母・ロージーと壁の中に住むユダヤ人の少女・エルサは、とてつもなく大きな存在でした。
特に、スカヨハ演じるロージーの苦しみを見せない、飄々とした強さとユーモアには心打たれます。
個人的には、昨年公開された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に近いものも感じました。
壁の住人エルサは、明らかにアンネ・フランクを思わせます。
「もし彼女が生き残っていたら?」「壁の外に出て、最初にやることは何だったろうか?」
志し半ばで散った命を救い出し、自由へと昇華させる、映画ならではのカタルシスを感じることができました。
良作です。
#1『黒澤明』+勝手にベストテン
遅ればせながら、明けましておめでとうございます、キーノです。
年末年始とブログに一切手をつけていませんでしたが、もう少しだけ細々と続けたいと思います。
いつも拙文をガマンして読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます!
さて今回は、世界の黒澤明監督について語りたい!という回です。
昨年末にクロサワ作品を一から順に観ていたら、完全にハマってしまいました。
僕がよくやる映画鑑賞法なのですが、誰か1人監督を選んで、その監督に関する参考図書を1冊購入し、年代順に全作品を観ていきます。
本で生涯や映画術を知り、作品を観てそれを体感することで、監督とちょっと仲良くなれた感じがして、とても楽しいです。
今回選んだ参考図書は、都筑政昭さんの『黒澤明 全作品と全生涯』。
これがかなりの名著で、黒澤監督の出自から、年代ごとの映画術の変化、おもしろエピソード、撮影秘話、そして全作品の評論と、僕のようなクロサワ入門者には最高の本でした。
黒澤監督本人の言葉の引用も多く(自伝やインタビュー集から)、これ1冊あれば、基本的なことは網羅できます。
その中で、初めて知ったおもしろエピソードをいくつか…
黒澤明エピソード
集中すると、脚本を1日8〜9時間ぶっ続けで執筆し、終わったら肩から背中が硬直していた。
一本撮影が終わると、ほぼ毎回入院していた。命がけで撮影をした後、廃人のようになって、髪の毛がごっそり抜け落ち、急激に老け込んだとか…
トレードマークのサングラスは『用心棒』から。
尊敬していたジョン・フォードが、撮影で目を傷めてサングラスをかけるようになったことを聞いて真似した。
実際に、黒澤監督も撮影で目を傷めていた。
当時、日本映画のデビュー作は、内務省の技能審査をパスしない限り、監督としての証明書が交付されなかった。
処女作『姿三四郎』は、審査員にありとあらゆる難クセをつけられ、黒澤青年はブチギレ寸前に。
その時、1人の試験官が立ち上がり、「百点満点として『姿三四郎』は百二十点だ!黒澤君、おめでとう!」と言った。
その人物が、小津安二郎だった。
新人俳優のオーディション会場に呼ばれた黒澤監督。ドアを開けて中をのぞいてみると、若い男が荒れ狂っていた。
男は、審査員のヒンシュクを買い落選。しかし、そのエネルギーに圧倒された黒澤監督は「待ってくれ!」と一言。責任を持つ形で及第にしてもらう。
その男こそ、三船敏郎だった。
これはほんの一部で、まだまだ山のように面白い裏話が詰まっています。この本は心からおすすめです。
ここからは、黒澤明監督が手がけた全30作品のうち、僕の好きなものを10本選んで、勝手にランキングしました。
勝手にベストテン
第10位『悪い奴ほどよく眠る』(1960)
汚職まみれの重役たちに父を殺され、復讐するミフネ(役名は西)。その手口の鮮やかさ、サスペンスの緊張感!
そして、復讐のために結婚した重役の娘に本気で恋をしてしまい…
あまり期待せずに観たら、予想をはるかに超えて面白かったので10位に。
第9位『天国と地獄』 (1963)
前に「午前10時の映画祭」で鑑賞済みでしたが、本書にある撮影裏話を知って、面白さ5割り増し。
特急の列車を貸し切り、橋を通過する数十秒の間に、カメラを何台も用意して、一発勝負の撮影。知ってから観るとスゴいです。
モノクロ映画ですが、ワンシーンだけ赤色が挿し込まれます。これはのちに、スピルバーグ監督が『シンドラーのリスト』でオマージュした箇所。
第8位『蜘蛛巣城』(1957)
逃げ惑うミフネに襲いかかる無数の矢はすべてホンモノ!
「撮影していて、初めて死ぬかと思った」とはミフネ本人の言。
城に向かって「森が移動する」シーンも圧巻。これは面白すぎる。
第7位『七人の侍』(1954)
「うな丼にカツレツ乗っけて、その上にハンバーグ乗せて、さらにカレーかけるみたいな映画を作ろう」
その宣言通り、クロサワ監督が作り上げたカロリー過剰な超娯楽作。しかし、そのカロリーは体に良いのだ!
雨の中の決闘シーンは、死人が出そうなほどの地獄撮影だったとか。
第6位『椿三十郎』(1962)
ミフネと仲代達矢の一騎打ちに呼吸するのを忘れます。
居合切り一閃で決まる勝敗、胸から滝のように噴き出す血しぶきは、酸素ボンベを忍ばせていたそう。ほぉ〜、勉強になる。
第5位『生きる』(1952)
妻に先立たれ、一人息子とも心が通わず、死んだように役場勤めをする男。
ガンの宣告。失意のどん底、そして生への転換。
人間、いくつになっても人生にカムバックできる!
消えゆく命のともしび、目的をやり遂げた男の清々しい顔、そして唄う「生命短し、恋せよ乙女」…これはハンカチが必須。
第4位『デルス・ウザーラ』(1975)
ハリウッドは、黒澤監督の完璧主義についていけなかった。しかし、ソ連は「好きに撮ってくれ」と黒澤監督を迎え入れた。
そして出来上がった傑作が『デルス・ウザーラ』だ。
文明から離れ、厳しい自然の中で一人生きる老人デルス。そのたくましさ、優しさ、知恵の豊かさ。
こういう人に僕はなりたい。
第3位『酔いどれ天使』(1948)
黒澤作品のツインタワーである三船敏郎と志村喬の伝説コンビが誕生した記念碑的作品。
余命いくばくもないヤクザの三船とヤクザを毛嫌いしつつも見捨てられないアル中ドクターの志村。
2人が同じ画に映るだけで、すべてが名シーンになったかのよう。好みの作品としては、本作が一番タイプかな。
第2位『隠し砦の三悪人』(1958)
エンターテインメントとして心踊るしかないシーンのつるべ打ち。こういうスーパー面白い作品は、何も言わず黙ってみるより他にない。
R2-D2とC3-POの元ネタにもなった、おとぼけコンビ太平と又七が愛らしい。ミフネと藤田進の長い長い一騎打ちも素晴らしい。
スピルバーグ監督が、「クロサワの弟子」と自称する理由がよく分かる大傑作。
第1位『赤ひげ』(1965)
「人間を押し、その肉づきを獲得せよ」をモットーにした黒澤監督。そのヒューマニズムが極致に達した作品です。
人の死の瞬間をここまで荘厳に魅せられる作品は、滅多にお目にかかれない。劇中、少なくとも3カ所は毎回泣いてしまう。
クロサワ・ミフネの黄金コンビ最後の作品であり、全30作品の頂点にある映画だと僕は思います。
きよしこの夜の純愛『シベールの日曜日』
Merry Christmas! キーノです。
今年もまた、きよしこの夜がやってきました。
子どもの頃は、一年で最も待ち遠しい日でしたが、今となってはすっかり疎遠に…
まあ、映画が観れるから良しとしよう。
さて、今回の作品はクリスマスにふさわしい名画『シベールの日曜日』です。
セルジュ・ブールギニョン監督、1962年・フランス・111分
マボロシの中の純愛
記憶を失って見る世界はどんな景色だろう?
かつての友人は見ず知らずの人に、慣れ親しんだ街は異国の地に変わる。どこにいても地に足つかず、ガラス窓で隔てられているかのように世界が遠い。
主人公の青年ピエールは、まさにその状態にある。
戦争で記憶を失い、得体の知れないトラウマがそこから突き上げてくる。恋人も仲間もいるが、彼らとはどこか住む世界がちがう。
迷子のピエールは、パリ近郊の町ヴィル・ダヴレーをさまよい歩く。
そんな折、彼は1人の少女に出会う。
父親から捨てられるように寄宿学校にあずけられた彼女。ピエールは、少女に自分と同じ何かを感じた。
孤独な魂同士は、自然と惹かれ合う運命にある。
ピエールは、日曜日ごとに少女を連れ出し、湖のほとりで2人だけの時間を過ごす。
現実に居場所のない2つの魂が出会った時、そこが1つの家になる。とても好きな話だ。
湖のほとり、小石が跳ね落ち、水の波紋がゆっくりと広がる。水面に映る2人の姿が揺らめいていく。
「あそこを私たちの家にしましょう」少女はつぶやく。
一緒にいる時だけ、心は満たされた。ピエールはトラウマを、シベールは孤独を忘れられた。
しかし、2人の世界は絶えず移りゆく水のように儚い。
彼らの純愛は、あくまでもマボロシの中にある。
クリスマスの夜、ツリーに引っかけられた小さな包み。少女からピエールへの贈り物だ。
中には折りたたまれた紙片、広げると「シベール」の文字。それまで本名を明かさなかった少女の名前が書かれていた。
ピエールは、お返しに、教会の上によじ登り、風見鶏の置物を盗む。
彼はもう不安も恐怖も感じていなかった。
しかし、マボロシが現実世界に腰を落ち着けることはない。2人の魔法の時間はついに解ける。
白煙のようにたち消えた夢のあとに、そこはかとない美しさが感じられた。
僕は、冬になると必ず『シベールの日曜日』と『ぼくのエリ』だけは観返します。
特に本作は、クリスマスに観たい最良の名作ではないでしょうか。
ピクサー流の人生哲学『トイ・ストーリー4』
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『トイ・ストーリー4』
ジョシュ・クーリー監督、2019年・アメリカ・100分
『トイ・ストーリー』シリーズに関しては、思い入れが他作品とは違います。
第1作の日本公開が1996年。
僕は当時2歳だったので、劇場では観てないものの、親が買ってくれたVHSをテープが擦り切れるほど観返しました。
記憶に残っている限りでは、人生で初めて観た映画。そして、人生の最後に観たい映画でもあります。
それから、誕生日には毎年、劇中に出てくるおもちゃをプレゼントに頼みました。それこそ、ウッディやバズの足裏に、自分の名前を書いたりしたものです。
どのシリーズも僕にとっては完璧な作品だし、ラストと思われた3では、枯れるくらい泣きました。
それほど思い入れが強い作品ですが、同じような人は世界中に山ほどいるのでしょう。
そして、第3作から9年…予期せぬ『トイ・ストーリー4』の公開。
ウッディたちの近況が知れるだけで嬉しかったので、何の不安もなく、期待と喜びを胸に劇場に駆けつけました。
そこには、ある意味で「オモチャの話」を越えたトイ・ストーリーがあったのです。
※以下、完全にネタバレしています。
「オモチャ」は常に本質を持つ
僕が本作からハッキリと感じ取ったのは、実存の哲学だ。
それも特に、サルトルの実存哲学がすぐに頭に浮かんだ。大学時代は哲学科だったので、やや懐かしさも感じる。
持ち主がアンディからボニーに変わり、持ち主の主役ではなくなったウッディ。彼の扱いは、今までのシリーズとは180度違う。
ボニーには遊ばれないし、ボニーパパには踏んづけられる。ウッディは、遊ばれないおもちゃとして、迷子になっていた。
オモチャには、「子どもに遊んでもらう」というただ一つの使命がある。つまり、始まりから「子どもの遊び友達」という本質にもとづいて作られる。
サルトル言うところの「本質が実存に先立つ」存在だ。
物や道具はすべてこれに沿っている。椅子もハサミも鉛筆も、すべて本質ありきで作られる。
本作でこれに当たる存在が、まさしく先割れスプーンのフォーキーだ。
ボニーがゴミから作り上げた存在フォーキー。ウッディは、カバンから赤子を取り出すかのように彼をバズたちに紹介する。
まさしく、フォーキーは、本質を持ったオモチャとして産声をあげたばかりなのだ。
本質を越境しようとするウッディ
ここでウッディに重大な変化が生じる。
彼は「内なる心の声」に動揺を見せ始める。これが実存の芽生えを示すキーワードとなる。
ウッディに対して、バズも内なる声に耳を傾けるが、彼が聞くのは「ボイスボックス」の声だ。
本作でのボイスボックスは、「オモチャの本質」を示すシンボルとなっている。
ボイスボックスは、オモチャとしての声であり、バズ自身の内なる声ではない。
バズは、ウッディとは対照的に、本質が実存に先立つ存在として、オモチャの領域にとどまり続ける。
第1作の時のバズに戻ったように感じるのは、これを強調したいからだ。
一方のウッディもボイスボックスを持っているが、彼が聞くのはその声ではなく、ウッディ自身の不安や迷い、焦燥の声だ。
ウッディは、すでにオモチャの域を越え始めている。
言い換えれば、「実存が本質に先立つ」存在に変化し始めている。
実存が本質に先立つ存在とは、まさに私たち人間だ。
人間は、道具のように明確な目的(本質)を持って、この世に生まれてくるのではない。
人生の選択肢は無数にある。
どう生きるかは自分で選ぶことができる。これこそが「自由」の真意だ。
無限の彼方へ…
もう1人の興味深い存在は、アンティークショップのギャビーギャビーだろう。
彼女もボイスボックス型のオモチャだが、ギャビーギャビーのそれは壊れている。要するに、オモチャとしての本質が欠如している。
ギャビーギャビーは、「自分は本質を欠いているから、子どもには遊んでもらえない」と思い込んでいるのだ。
だからこそ、もう一度カムバックするために、喉から手が出るほどウッディのボイスボックスが欲しい。
しかし、ここは需要と供給が一致している。
ウッディは、オモチャとしての存在を越え始めているのだから、ボイスボックスはもう必要ない。
そして、ギャビーギャビーは、ウッディから本質を譲り受け、第二のオモチャ人生を歩み始める。
物語のラスト、実存に目覚めたウッディは、オモチャであるバズたちと決別し、完全にアマゾネス化したボーのもとに残る。
オモチャを越えた彼らは、自らの意志で人生を選択できる自由な存在となったのだ。
その一方で、自由は監獄でもある。
「子どもと遊ぶ」という確固たる本質(使命)を持っていれば、人生に迷いはないが、選択肢が無数にある自由は、裏を返せば不自由とも言える。
「無限の彼方へ、さあ行くぞ」
僕はこのラストのセリフが、自由の大海原へと旅立つウッディの意志表明、そしてバズからの花向けの言葉に聞こえてならない。
本作は「トイ・ストーリー」という枠組みをはるかに越え出て、自由を獲得した1人の人間(生命体?)のストーリーとなっていた。
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人生はジグザグ道〜『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』〜
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』の2作品です。
『そして人生はつづく』
アッバス・キアロスタミ監督、1992年・イラン・91分
『オリーブの林をぬけて』
アッバス・キアロスタミ監督、1994年・イラン・103分
この2作品は、同監督の傑作『友だちのうちはどこ?(1987)』と合わせて、ジグザグ道三部作と呼ばれます。
『友だちのうちはどこ?』は、個人的にオールタイム・ベスト10に入るほど好きな作品ですが、この2作と合わさることで、愛すべき作品群となっています。
準ドキュメンタリーの最高峰『そして人生はつづく』
『友だちのうちはどこ?』から3年、1990年のイランで、死者3万人以上を出した巨大地震が起こりました。
この地震がなければ、『そして人生はつづく』も『オリーブの林をぬけて』も存在していません。
本作は、キアロスタミ監督が『友だちのうちはどこ?』の舞台となった村コケルにおもむき、主演したアハマドプール少年の安否を確認しに行くというものです。
それを半フィクション半ドキュメンタリーという形で見せています。
冒頭、コケルを目指して車を走らせる映画監督、渋滞、瓦礫の山、変わり果てた村々、山の斜面の巨大な地割れ、家族や住む家を失った人々…
映るものは、紛れもなく本物です。
コケルへの道中、前作にも登場した老人や少年に出くわします。
その瞬間の感動、「おぉ、生きてた!」「ちょっと大きくなってる」といった感動は、前作に思い入れがあるほど、強いものとなるでしょう。
しかし、肝心のアハマドプール少年は見つからず…そのまま迎えるラスト。
どうすれば、あれほど胸を打つ素晴らしいエンディングが思いつくのでしょうか。
悲劇が起きても、人間はたくましく生きることができる、そして人生はつづく…
傑作です!
純粋無垢なるラブストーリー『オリーブの林をぬけて』
ジグザグ道三部作のラストを飾る本作は、『そして人生はつづく』にちょこっと登場した若夫婦に焦点を当てたラブストーリーです。
大地震の翌日に式を挙げたという青年ホセインと妻タヘレ。
キアロスタミ監督は、「ホセインが一度タヘレにフラれたものの、それでも愛を貫いた」という話に霊感を得て、それをドラマに仕上げました。
実際に、本人たちが演じる結婚秘話は、不思議に新鮮で、いじらしく、心を打たれます。
本作もまたエンディングが最高に素晴らしく、口角がゆるみっぱなしでした。
広大な草原と青空を一望する俯瞰のカメラ。
無言を貫き、前をスタスタと歩くタヘレ。結婚を迫りながら、後を追うホセイン。
オリーブの林をぬけて、小さな点になるまで、カメラは2人を遠巻きに見つめる。急に立ち止まるタヘレ、おそらく嬉しい返事を受けてこちらに駆けてくるホセイン。
草原につんのめりながら、走る、走る…
ジグザグ道三部作は、エンディングがすべて素晴らしいですね。
それから前作で、アハマドプール少年と再会できず、どこか消化不良だった気持ちも、本作を見れば、すべてが完璧なまでにスッキリします。
人生はジグザグ道、心に残る三部作です。
『第七の封印』〜死神との生死を賭けたチェスバトル〜
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『第七の封印』
イングマール・ベルイマン監督、1957年・スウェーデン・96分
あらすじ
ペストが蔓延する中世ヨーロッパ。
至るところに死が溢れかえり、人々は世界の終わりに狂乱する。
そこへ、10年におよぶ十字軍の遠征から騎士アントニウスが帰還する。
後について来た「死神」が、彼を連れ去ろうとするが、アントニウスは、死神に条件つきのチェスを挑む。
「対局の間、死はお預けだ。俺が勝ったら解放しろ」
かくして、騎士と死神の生死を賭けたチェスバトルが幕を開ける。
第七の封印=世界の終わり
全編名シーンのような本作は、僕が同監督の中で最も好きな作品。(といっても、半分ちょっとしか観てませんが)
「第七の封印」とは、新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる挿話を指す。
子羊により解かれた封印。
その後、七人の使いが順番にラッパを吹いていくごとに、世界は崩壊していく。
つまり、タイトルは「世界の終わり」を意味する。
その中で、本作は、内なる信仰と外なる地獄を対比軸に置く。
戦争、貧困、疫病と外の世界は苦痛に満ち溢れている。
それが原因で、人々の内なる信仰心(神への信頼)が揺らいでいく。
本作の基本は、すべて内vs外だ。
騎士アントニウスは、無益に終わった十字軍遠征で、信仰心に疑問が湧く。
聖職者は、終わらぬ悲劇世界に絶望し、犯罪に手を染める。
民衆は、貧困、疫病に耐えられず、互いを鞭打ちながら、十字架を背負って練り歩く。
彼らは皆、神の存在を問い、神に救いを求めるが、皮肉なことに、神は祈る者の前には姿を見せない。
彼ら内なる信仰心は、こぞって外のなる地獄に押しつぶされていく。
結局、祈りも虚しく、人々は次々と死神に命を奪われる。その魔の手は、ついにアントニウスにもおよぶ。
ところが、ただひとつ、彼は旅芸人の若夫婦とその幼子を死神から逃すことに成功する。
彼らは、劇中でも唯一と言っていいほど、外界の地獄とは無関係で、純粋無垢を貫く。信仰や祈りにも関心がないようだ。
しかし、そんな彼らの前にこそ、神は現れる。
その証拠に、純心な夫ヨフだけが、聖母マリアとその幼子の姿を目にするのだ。
人は、恐れや不安の念から神さまに祈りを捧げます。
ある意味で、信仰心は、恐れが具現化したものと言えるでしょう。
すると無垢な人は、信仰という恐怖心を抱かないというまさにその一点で、死神から守られているのかもしれません。
グダグダ言いましたが、とにかく20世紀を代表する選りすぐりの傑作です。
イタリア名画『鉄道員』〜クリスマスの奇跡に涙する〜
こんにちは、キーノです。
今回の作品は『鉄道員』
ピエトロ・ジェルミ監督・出演、1956年・イタリア・118分
あらすじ
戦後イタリア、鉄道員のアンドレア(監督本人)を家長に、妻サーラ、長男マルチェロ、長女ジュリア、そして末っ子のサンドロを中心に、家族の不和と崩壊、再生までを描く。
冬の寒さ忍び寄るこの時期、やっぱり観たいのは『鉄道員』のような心温まる作品です。
本作は、ある年のクリスマスで幕を開け、翌年のクリスマスで幕を閉じるれっきとしたクリスマス映画でもあります。
僕は、サンドロ少年見たさにちょこちょこ見返しています。子役史上でも3本の指に入るほど好きな少年です。
サンドロ少年、走る、走る!
本作では、家族それぞれの悲劇が同時並行して起こり、さらに絡まり合うことで不和が生じる。
父アンドレアは、投身自殺の若者を轢いてしまい、その後、動揺から赤信号を見落とし、事故寸前。別部署に左遷されて、低賃金、そして酒浸り。
長男マルチェロは、定職につかず、毎日昼近くまで家でふて寝。お金絡みの問題も。
長女ジュリアは、妊娠・流産・不倫の末、恋人と別居。家に帰っても父に張っ倒され、災難続き。
彼らの不幸は、サンドロ少年の純朴な目線を通して語られることで、悲惨きわまりない物語に堕することは避けられる。
むしろ、サンドロの純粋なモノローグが悲劇を中和してしまうのだ。
姉のジュリアが流産した際、「あ〜あ、叔父さんになれたのに。クラスには叔父さんになってる子はまだいない」などと心中独白が挟まれる。
サンドロは、家族の使いっ走りにされながら、バラバラの家族を再びつなぎ合わせるように、無心で駆け抜ける。
「鉄道の線路」と「道を駆け抜けるサンドロ」のカットが交錯するオープニングは、それを見事に表した名シーンだ。
まるで、サンドロが、絡み合い、解けていく家族の悲劇のど真ん中を突っ走っているかのよう。
一度崩壊した家族の絆は、クリスマスの夜に、以前より強度を増して再生する。
クリスマス・パーティーの後、夫アンドレアと妻サーラの居間を隔てた会話に涙した人は多いでしょう。
イタリアン・リアリズムの暖かい傑作、まさに名画と呼ぶにふさわしい作品です。